ほぼ日手帳 Spring

手帳を、ほぼ日手帳Springにしました。

正確には去年の12月から1月始まりのほぼ日手帳をずっと使ってきたのですが、仕事柄、年度に縛られた生活を行っていますので、4月始まりの手帳の方がいいなぁと、ずっと考えていたのでした。でも、1月始まりのほぼ日手帳を四ヶ月使って、だいたい使い方は見えてきたような気もするし、ここで買い時を逃してしまったら、来年の1-2月を手帳なしで過ごさないといけないと思い、えいやっと購入してしまいました。今までの手帳は色々とメモが書いてあるので、今後も参照することがあるでしょう。そういう意味でもほぼ日手帳を使いこなすための練習帳として、意味があったなと思っています。

ほぼ日手帳は、使いこなすのが難しい手帳のような気もします。自分自身で使い方を見いだしていかねばならないところが特に難しい。使い方を限定してくれるタイプの手帳の方が、文句を言いつつも使いこなすのは簡単なのですよね。不自由ではあるけど、きっちりしている。そのきっちりさは、窮屈でもあるのだけれど。ほぼ日手帳はそこが違っていて、色々と思いついたことを書き留めたり、日付に関係なくメモを取ったりしても、それなりに使えてしまう懐の深さがあります。その懐の深さにとまどうこともありました。それは、「そんなに予定ってないなぁ」ということだったりします。予定を詰め込んでいくと、手帳は「それらしく」見えるじゃないですか。だから、予定を詰め込んでしまうのですが、ほぼ日手帳は、一日が1ページになっているので、そんなに詰め込めないのですね。必然的に、思ったことや、感じたことなどを記していくことになります。しかし、それがどの程度の密度で書かれるか、なんてことも考え始めると、使い方が難しくなっていきますね。自由であればあるほど、自由さが失われかねない。あと、モールスキンに日記を書いてきたのですが、ほぼ日手帳にメモを書いていくと、その意義が薄れてしまうのもありまして、そのあたり、どうかなぁと思ったりしなくもないのです。ほぼ日手帳のみで行く、というのも潔いとは思うのですけどね。

そんな訳で、親しい人の誕生日とか、授業の予定などの一年分の予定をざっと書き込んで、ついでにゴミ出しの予定表も書き込んで、連絡先も書き込んで、やっと人心地がついたところ。四ヶ月使って汚くなったナイロンカバーも洗って、新品同様とはいかないけど、割と綺麗になりました。

よし、これで来年の春まで一年頑張るぞ。